シングルマザーの私が「愛情は伝わっている」と確信できた、子どもの成長の瞬間

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私の「愛情は足りている?」という不安

シングルマザーとして子育てをしていると、常に心のどこかに「私のせいで、この子に寂しい思いをさせていないか」「愛情は足りているだろうか」という不安がつきまといます。

仕事と家事に追われ、子どもと向き合う時間が物理的に少ない。 疲れて帰宅し、イライラして息子にきつく当たってしまった夜は、「私、母親失格だな…」と落ち込むことも一度や二度ではありませんでした。 (※そんな時の心の立て直し方は、落ち込んだときに私が気持ちを切り替えた具体的な方法 にも書いています)

ですが、そんな私の不安を吹き飛ばしてくれるのは、いつだって息子の「ふとした成長」の瞬間でした。

この記事では、「子育てあるある」のまとめではなく、私が実際に体験し、「ああ、ちゃんと伝わっていたんだ」と涙が出た、忘れられない「子どもの成長の瞬間」を3つ、詳しくご紹介します。


目次

エピソード1:公園で聞いた「大丈夫?」の一言

私の葛藤:「内気な子になったらどうしよう」

息子がまだ小さかった頃、私は「私と二人きりの時間が長いせいで、社会性が育たなかったらどうしよう」と本気で悩んでいました。

公園に連れて行っても、いつも私から離れず、他のお友達の輪に入っていけない。 保育園の先生からも「少しおとなしいタイプですね」と言われるたび、胸がチクリと痛みました。

「私がもっと時間を作って、いろんな場所に連れて行くべきなんじゃ…」 「パパがいないから、活発さに欠けるんじゃ…」 そんな風に、全てを自分のせいだと責めていました。

その日の情景:「砂場での出来事」

ある土曜日の午後、いつものように二人で公園に行きました。 息子は砂場でおもちゃを広げ、私は少し離れたベンチから、仕事のメールを返しながら、ぼんやりと彼を見ていました。

その時です。 息子より少し大きいくらいの男の子が、走ってきて派手に転び、大声で泣き出しました。 その子の母親は、少し離れた場所で別のお母さんと話し込んでいて、気づいていません。

私は「あ、行かなきゃ」とスマホをカバンにしまい、ベンチから立ち上がろうとしました。

その瞬間、私より先に、息子が動いたのです。

いつもは内気で私から離れなかった息子が、泣いているその子に駆け寄り、持っていたスコップをそっと砂場に置いて、その子の背中をさすりながら、こう言いました。

「大丈夫? 痛かったね」

その光景を見た瞬間、涙がブワッと溢れてきて、視界が歪みました。

私の気づき:「愛情はちゃんと伝わっていた」

「嬉しかった」というより、「救われた」という感覚でした。 私が心配していた「社会性」とか「活発さ」とか、そんなことよりずっと大切な「人を思いやる気持ち」が、この子の中に確かに育っていた。

私が毎日イライラしたり、不安になったりしていても、私が息子に向けてきた愛情は、ちゃんと「優しさ」として彼の中に蓄積されていたんだ。 「シングルマザーでも大丈夫。ちゃんと伝わっている」 息子の小さな背中が、私のこれまでの不安をすべて肯定してくれたように感じました。


エピソード2:「自分で靴を履いた日」の衝撃

当時の状況:「朝=戦場」だった日々

フルタイムで働き始めて、朝はまさに戦場でした。 毎朝「早くして!」「靴履きなさい!」と怒鳴り、息子の手を引っぱって無理やり靴を履かせ、保育園に駆け込む。そんな日々でした。 (※この地獄のような朝をどう改善したかは、シングルマザーの朝のルーティン に詳しく書いています)

その日の情景:「玄関での5分間」

その日も、私はイライラしながら玄関で自分の準備をしていました。 「早く!遅れるよ!」といつものように怒鳴りかけた時、ふと息子の姿が目に入りました。

彼は、私の言葉など聞こえていないかのように、玄関のたたきに座り込み、小さな手で、赤いマジックテープの靴と格闘していました。 右と左を何度も見比べ、うまくいかずに「うーん」と唸りながら、それでも私の助けを求めず、一生懸命にマジックテープを留めようとしている。

私は、怒鳴りかけた言葉を飲み込みました。 そして5分後。 「できた!」 額に汗を浮かべ、左右が逆のままの靴を履いた息子が、満面の笑みで私を見上げました。

私の気づき:「子どもは私のために成長している訳じゃない」

胸がいっぱいになりました。 それは「手伝わなくて済む、ラクになる」という喜びではありません。 「ああ、この子は私が怒鳴らなくても、ちゃんと自分で成長しようとしているんだ」 「私の焦りとは関係なく、この子はこの子の力で、ちゃんと前に進んでいるんだ」 という衝撃でした。

私が「母親として完璧じゃなきゃ」と焦るあまり、子どもの「自分でやりたい」という力を奪っていたのかもしれない。そう気づかされた瞬間でした。


エピソード3:「ママ、お水どうぞ」の小さな気遣い

私の状況:「疲れ果てていた夜」

仕事で大きなトラブルがあり、心身ともに疲れ果てて帰宅した夜のことです。 夕食もろくに作れず、買ってきたお惣菜を並べただけ。息子が話しかけてきても、上の空で返事をしていました。

「ごめん、ママちょっと疲れたから横になるね」 そう言って、リビングのソファでぐったりとため息をついていました。 「こんな母親で申し訳ないな…」と、また自己嫌悪に陥っていました。

私の感情:「支えられている」という実感

すると、息子がキッチンからタッタッターと走ってきて、私の目の前に、プラスチックのコップを差し出しました。 なみなみと注がれた、ぬるい水でした。

「ママ、疲れてるでしょ? お水どうぞ」

たったそれだけのことです。 でも、私にはその一言が、どんな栄養ドリンクよりも効きました。 子どもに「気を使わせている」という罪悪感よりも、「私(母親)のことをちゃんと見てくれている」「支えようとしてくれている」という事実に、ただただ涙が出ました。

私たちは「親子」であると同時に、この家を二人三脚で支え合う「チーム」なんだなと、実感した瞬間でした。


まとめ:完璧な子育てじゃなくても、子どもは育つ

子どもの成長は、日常の中にひっそりと隠れていて、私たちが不安や忙しさでうつむいている時に、「ママ、顔を上げて」と教えてくれるかのように現れます。

私が「母親として完璧じゃなくてもいい」と心から思えたのは、間違いなく、これらの息子の成長のおかげです。 (※この気づきについては、母親として完璧じゃなくてもいいと思えた瞬間 の記事でも触れています)

シングルマザーとして不安に押しつぶされそうになることもありますが、子どもの成長を感じる瞬間こそが、「あなたのやってきたことは間違ってないよ」という何よりの証であり、明日への力になります。

この記事が、同じように日々子育てを頑張っている方の「うちの子もこんなところがあるな」と、日常の喜びを再発見するきっかけになれば嬉しいです。

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