子どもの学校行事は、親にとっても特別な時間です。 しかし、シングルマザーとして働く私にとって、それは喜びであると同時に、「仕事の調整」と「他人との比較」という、2つの“試練”との戦いでもありました。
「なんで、よりによって平日に開催するのよ…」 子どもの学校行事と仕事の両立 の記事でも書きましたが、職場に頭を下げ、同僚に「ご迷惑をおかけします」と謝り、やっとの思いで休みを確保する。
そんな風に、行く前から疲れ果てていた私も、ある「運動会」での出来事をきっかけに、その考えが180度変わりました。 この記事は、私が号泣のあまり、息子の勇姿を撮り損ねた、あの日の「失敗」と「最高の気づき」の記録です。
あの日:「来てよかった」と「寂しさ」の狭間で
私の葛藤:周りを見渡せば「両親」そろった家族ばかり
運動会の当日。 なんとか仕事の調整をつけ、息子の出番に間に合うように駆けつけました。 周りを見渡せば、大きなレジャーシートに、立派な望遠カメラ、豪華なお弁当を広げる「両親そろった」ご家庭ばかり。
一方の私は、仕事の合間に駆けつけ、一人分の小さなシートを隅っこに敷く。 もちろん、子どもは「ママが来てくれた!」と喜んでくれています。 でも、私の心の中では「うちは違うんだ」「ちゃんとしてあげられなくて、ごめんね」という寂しさや罪悪感が、ずっと渦巻いていました。 (※この「完璧じゃない」という葛藤は、母親として完璧じゃなくてもいいと思えた瞬間 の記事でも、私の大きなテーマです)
クライマックス:号泣して、動画を撮り損ねた「かけっこ」
息子の出番。「今日こそ、完璧な動画を撮る」
息子の「かけっこ」の時間がやってきました。 私は、この日のために充電してきたスマートフォンを構えました。 「私一人しかいないんだから、息子の勇姿を、完璧な動画で残さなきゃ」 「後で、これをおばあちゃん(私の母)にも見せてあげなきゃ」 そう意気込んで、録画ボタンを押す指に力を込めました。
スタートのピストルが鳴る。 息子は、必死の形相で腕を振って走っています。
ファインダー越しではない、「本当の姿」
その瞬間。 ファインダー越しに見ていたはずの息子の姿が、急に「現実」として目に飛び込んできました。
「あんなに小さかったのに」 「友達とケンカして泣いていたのに」(※子どもの友達付き合いで気をつけていること) 「ちゃんと、自分の足で、前に進んでる」
そう思った瞬間、これまでの苦労や不安、そして息子の成長が、一気に涙になって溢れ出してきました。 もう、止まりませんでした。 周りの目も気にせず、ただ「頑張れ! 頑張れ!」と号泣していました。
結果:「人生最高の思い出」が、記録に残らなかった(笑)
レースが終わり、息子が照れくさそうにこっちに手を振っています。 私は、泣きじゃくった顔でスマホを見ました。
…録画ボタン、押せていませんでした。
あんなに意気込んでいたのに。 息子の勇姿も、ゴールの瞬間も、何一つ撮れていなかった。 でも、不思議と、全く悔しくありませんでした。 「あ、やっちゃった(笑)」 そう笑い飛ばせるくらい、私の心は満たされていました。
私が学んだこと:「記録」より「記憶」
子どもの「見ててくれた」がすべて
私が駆け寄って「ごめん! 泣いてて撮れなかった!」と謝ると、息子は「えー!」と言いながらも、満面の笑みでした。
「でも、ママ、見ててくれたでしょ!」 「うん。見てたよ。世界で一番かっこよかった!」
この瞬間に、私はすべてを悟りました。 子どもにとって大切なのは、親が「完璧な動画」を残すことじゃない。 「私の頑張りを、ママが、見ててくれた」 その事実だけで、十分だったのです。 (※子どもの成長で嬉しかった瞬間)
「完璧な母親」じゃなくてもいい
あの日以来、私は、学校行事で他人と比べることを、きっぱりと辞めました。 両親がそろっていなくても、立派なお弁当が作れなくても、 「私は、あなたの一番の応援団長だよ」 という気持ちが伝わっていれば、それでいい。
あの「号泣して動画を撮り損ねた」という“失敗”は、私と息子の間だけの、誰にも真似できない「最高の記憶」になりました。
まとめ:たった一言が、親子の絆になる
学校行事は、子どもの成長を実感できる、本当に素晴らしい機会です。 仕事の調整が大変で、「なんで平日なのよ…」とイライラすることもあります。
でも、駆けつけて、その場で感じた「感動」を、 「頑張ってたね」 「あそこの発表、かっこよかったよ」 と、たった一言でいいから、その日のうちに子どもに伝えること。
それだけで、親子の絆は深まります。 完璧な参加じゃなくても、大丈夫。 あなたのその「たった一言」が、子どもの自己肯定感を育て、あなたの孤独な気持ちをも支えてくれる、一番の力になるはずです。
