母親になると「完璧な母親」を目指したくなるものです。 私の場合、それが「シングルマザーだから」という強迫観念と結びついていました。
「父親がいない分、私が2倍頑張らなければ」 「“普通”の家庭と同じように、いや、それ以上にしてあげなければ」
頼れる人が少ない分、すべてを自分で抱え込み、家事も、仕事も、子育ても、全部100点を目指していました。 当然、そんな生活は長くは続かず、私は心身ともに疲れ果て、ある夜、ついに心が折れました。
この記事は、私が「完璧な母親」という呪縛から解放された、一番つらかった「失敗談」と、そこから得た気づきの記録です。
私が“壊れた”日:「卵かけご飯」で泣いた夜
当時の状況:仕事のミスと、空っぽの冷蔵庫
その日は、朝から最悪でした。 仕事で大きなミスをして、上司に厳しく叱責され、残業でクタクタになって帰宅。 お迎えもギリギリ。雨の中、スーパーに寄る気力もありませんでした。
家に帰ると、冷蔵庫は空っぽ。 「あ、私、買い物に行けなかった…」
息子の「ママ、お腹すいたー」という声が響く中、作れたのは「炊きたてのご飯と、卵」。 ……そう、「卵かけご飯」と、インスタントのわかameスープだけでした。
私の“心の崩壊”:「ごめんね」が止まらない
食卓にそれを並べた瞬間、涙が溢れてきました。 「私は、必死に働いて、疲れて帰ってきて、この子に卵かけご飯しか食べさせてあげられない」 「SNSで見る、他の家は、今頃きっと、ハンバーグとか、ちゃんとしたご飯なのに」 (※子どもの友達付き合い の記事でも触れましたが、この「比較」が私を一番苦しめました)
「ごめんね、〇〇(息子の名前)。今日は、これだけで、ごめんね…」 私は、息子の前で、泣きじゃくってしまいました。 「母親失格だ」と、本気で思いました。
私を救った、息子の「一言」
息子の「一番おいしい!」
私が泣き崩れていると、息子はきょとんとした顔で私を見ました。 そして、卵かけご飯を一口食べると、満面の笑みでこう言ったのです。
「ママ、どうしたの? 卵かけご飯、やったー! 僕、これが一番好き! ママと食べると、一番おいしいね!」
…私は、衝撃で涙が止まりました。 私が「母親失格だ」と自分を責めていた、この「手抜き」の夕食を、息子は「一番のごちそう」だと言ったのです。
私が「完璧」を辞めた瞬間
この瞬間、私はすべてを悟りました。 子どもが望んでいたのは、「完璧な手の込んだ料理」じゃなかった。 「完璧な母親」を望んでいたのは、他の誰でもない、私自身だったのです。
息子にとって大切なのは、「豪華な食事」よりも、「お母さんが笑顔で、一緒に食卓を囲んでくれること」。 私は、子どもの成長で嬉しかった瞬間 を、見失っていました。
あの日から、私が手放した「3つの完璧」
あの「卵かけご飯の夜」以来、私は「完璧」を目指すことを、きっぱりと辞めました。
1. 「家事10割」を辞めた(→7割でOK)
仕事と家事を両立するために私が取り入れた小さな工夫 の記事にも書きましたが、私は「家事の手抜き」を覚えました。 洗濯物がたまっていても死なない。掃除機は3日に1回でいい。夕食は「卵かけご飯」でも、息子は笑ってくれる。 そう思えたら、心が驚くほど軽くなりました。
2. 「他人と比べる」のを辞めた
あの「完璧なハンバーグ」をSNSに載せていた家庭には、その家庭の事情があります。 「うちはうち。よそはよそ」 息子の「ママと食べると美味しいね」という言葉が、私の「軸」になりました。
3. 「自分を責める」のを辞めた
「頑張りすぎない」を意識してから心が軽くなった話 にも通じますが、私は寝る前に「今日できなかったこと」ではなく、「今日できたこと」を数えるようにしました。 「今日も、息子と笑った。満点だ」 そうやって、自分で自分を褒めるようにしました。
まとめ:あなたの「卵かけご飯」を、子どもは愛している
母親だからといって、すべてを完璧にこなす必要はありません。 むしろ、「完璧でなければ」と思うほど、心が追い詰められ、子どもとの時間を楽しめなくなってしまいます。
子どもが本当に望んでいるのは、「完璧な母親」ではなく、「笑顔の母親」です。
あの日、私の「母親失格」の象徴だった「卵かけご飯」は、 息子にとっては「ママと食べた、最高のごちそう」でした。
あなたの「手抜き」を、あなたの子どもは、きっと愛してくれます。 完璧じゃなくても、大丈夫。私たち母親は、そのままで、子どもにとって「100点満点」なのですから。
