シングルマザーとして子育てをしていると、「一人で頑張らなきゃ」という気持ちが、いつしか「誰にも頼ってはいけない」という強迫観念に変わることがあります。
私も離婚直後、すべてを一人で背負い込み、心身ともに疲れ果てていました。 そんなある朝、私の「一人で頑張る」という壁が、ガラガラと崩れ落ちる出来事が起こりました。
この記事は、「支えは大事です」という一般論ではありません。 私が「もうダメだ」と泣いたあの朝、周囲の人の言葉が「点」から「線」となり、私を救ってくれた「一日」の記録です。
心が折れた朝:息子の「発熱」と「仕事の板挟み」
孤独のピーク:「私しか、いない」という絶望
その日の朝6時、息子の体は火のように熱くなっていました。体温計は「39.2℃」。 頭が真っ白になりました。
「仕事を、休まなければ」 「でも、今日は私がいなければ回らない会議がある」 「休んだら、同僚に何て言われるだろう」 「私しか稼ぐ人間がいないのに、休んでいいはずがない」
かといって、熱で苦しむ息子を置いていけるはずがない。 どうすればいいのか分からないパニックと、「私がしっかりしなきゃ」というプレッシャー。 「どうして私ばかり」 孤独を感じたときに私を救った習慣 を試す余裕もなく、私はただ、リビングの真ん中で立ち尽くしていました。
私を救った「4つの言葉」の連鎖
私は、震える手で3本の電話と、1通のLINEを送りました。
支え1:学校の先生の「お母さんは悪くないですよ」
まず、学校の欠席連絡を入れました。 担任の先生に、息子の熱と、私が仕事を休まねばならずパニックになっていることを、しどろもどろに伝えました。 すると先生は、こう言ってくれたのです。
「お母さん、大丈夫ですよ。まずはお子さんのことだけ考えてあげてください。お仕事の調整、大変でしたね。でも、お母さんが謝ることじゃありませんよ」
私は「母親が仕事を優先しようとした」と責められるのではないかと怯えていました。 先生のこの一言で、まず「母親失格」という罪悪感から救われました。 (※子どもの学校行事と仕事の両立 の記事でも書きましたが、先生との連携は本当に心の支えです)
支え2:友人の「頑張りすぎなくていいよ」
次に、職場に欠勤の連絡を入れ、上司からのお叱り(もちろん心配も)の電話で、さらに落ち込みました。 私は、唯一弱音を吐けるシングルマザーの友人に、LINEを送りました。
「息子が熱。仕事休んだ。上司に怒られた。もう全部ダメかも」
1分も経たずに返ってきた言葉。 「大丈夫。ダメじゃないよ。頑張りすぎなくていいよ。休めるときに休んで。あんたが倒れたら元も子もないよ」
「頑張りすぎない」と決めてから心が軽くなった話 の記事の原点になった、この一言。 「私だけじゃないんだ」 そう思えた瞬間、張り詰めていた糸が切れ、涙が溢れてきました。
支え3:息子の「ママ、ありがとう」
泣きながら息子の看病をしていると、汗びっしょりの息子が、うっすらと目を開けて私を見つめました。 そして、小さな声でこう言ったのです。
「ママ、ありがとう。そばにいてくれて、うれしい」
私は、息子の前で声を上げて泣きました。 私は「仕事を休んだ=ダメな母親、ダメな社会人」だと思い込んでいました。 でも、息子にとって、私が仕事を休んでそばにいることは「何より嬉しいこと」だったのです。
私の「罪悪感」は、息子の「ありがとう」の一言で、「幸せ」に変わりました。
支え4:実家の「いつでも帰ってきてもいいよ」
その日の夜。 熱も下がり、すやすやと眠る息子の寝顔を見ながら、実家の母に電話をしました。 「今日、息子が熱出して…仕事も休んじゃって…」
すると母は、こう言いました。 「大変だったね。でも、あんたが選んだ道なんだから、しっかりしなさい。…でもね、本当にもうダメだと思ったら、いつでも帰ってきてもいいんだからね」
普段は厳しい母からの、その言葉。 実際に帰るかどうかではありません。 私には「逃げ道(セーフティネット)がある」と思えただけで、また明日から戦う勇気が湧いてきました。
まとめ:「一人じゃない」と知ることが、最大の力になる
あの日、私は「孤独」のどん底にいました。 でも、振り返れば、私は一人ではありませんでした。
- 先生が、私の「母親」としての立場を守ってくれた。
- 友人が、私の「心」を共感してくれた。
- 子どもが、私の「存在」を肯定してくれた。
- 家族が、私の「最後の砦」でいてくれた。
支えは、目に見えにくいだけで、必ず周りにあります。 今、「一人で頑張らなきゃ」と苦しんでいる方に、かつての私を救ってくれた、この言葉の連鎖が届きますように。
